2020/05/25
デザインセンスは磨ける!?デザイナーが考えるセンス向上術
クリエイティブディレクターのサカヨリです。
みなさんはデザインと聞くと「自分にはセンスが無いから苦手…」と特別で難しいことだと思ってしまいませんか?
でも実は誰もが日常生活の中で無意識になにかを「デザイン」しています。つまり誰にでもデザインをする下地は既にできているんです。もちろん誰もが簡単に○○デザイナーになれると言うわけではありませんが、ちょっとしたコツがわかると企画書やメール、ファッションやインテリアのコーディネート、LINEのやりとりや自分をよく見せるセルフブランディングにまで役立てられるかもしれません。
結論から言うとデザインセンスは磨けます!
毎日誰もが「センスあるデザイン」をしている
たとえば朝起きて喉が乾いたな水を飲もう、と思った時に、水道水でならほとんどの人はコップに水を入れて飲みますよね?
なぜか?単純に蛇口から直には飲みにくいし、手ですくうよりも効率的なことを「知っている」からです。これがペットボトルの水ならそのまま飲むのもありですが、これはこのままでも問題ないことを体験として「知っている」からです。
さらに一歩進めてもう少し「気持ちよく」飲むことを考えてみましょう。
まずコップの種類。紙製?プラスチック製?割れにくいガラス製?ほったらかしてあるマグカップ?湯飲み?
「気持ちよく」飲もうと思ったらガラスのコップを選びませんか?これも様々な体験から来る「気持ちよさ」の感覚を知っているからですよね。
さらに一歩進めば「繊細で薄くて軽いグラス」「どっしりと高級感のあるクリスタルグラス」「シャンパングラス」なんて選択肢もありますね。
水の温度も大事です。「生温いよりも適度な冷たさ」のほうが美味しく感じる。おしゃれなレストランなどでは水一杯でも高そうなグラスによく冷えた水を入れてくれますね。
今日は何を着ていこう、バッグはどれにしよう、苦手な上司にどうやって報告しよう、資料をもっとわかりやすく…
実はこれ全部デザインです。
「感覚=センス」に合わせて「考えて工夫=デザイン」しているんです。
気持ち良いことはみんな大好き
水を飲みたいという原始的な欲求に対してただ口に入れば「目的」は果たされますが、実はそこで私たちはさまざまな「感覚的な欲求」を満たそうと工夫しています。水を飲むと言う目的のためにはカップ麺の空き容器にぬるい水道水を入れて飲んでもいいはずですが、そこで無意識に「冷たくて新鮮な水を気持ちよく飲みたい」ために、たくさんの人類の英知を集結させているわけです。
「心地よいと感じるようにするための工夫」。これがさまざまなデザインの原点です。
理屈っぽくなってしまいましたが、やっていることは簡単じゃないですか?
私たちはできることなら意識せず、使いやすく、気持ちよく、美しく、楽しいことを体験したいはずです。(その反対のことを選びたがる人はちょっとまた別なお話ですね笑)
いまさらですが「デザイン」の意味を調べてみると「「美しさ」や「使いやすさ」などの狙いを実現するために創意工夫すること、および、その創意工夫の成果を反映させた見た目や機能のあり方」とあります。(出典:Weblio辞書 実用日本語表現辞典)
「センス」の意味を調べると「物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。」と。(出典:Weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
「よりわかりやすく、より気持ちよく、より美しく感じてもらうためのさまざまな工夫」をたくさん知ってストックしておく、これがデザインのセンス向上につながるんです。
気持ち良さには理由がある
さて、能書きが長くなってしまったのでそろそろ実例を。いちばんたくさんの人にウケそうなのは企画書などのデザインについてでしょうか?まず1枚目の画像はA4横の普通の企画書です。(ちょっと意図的に残念にしすぎています笑)
そして2枚目がちょっとの工夫をあちこちにちりばめた企画書です。
どうでしょう?すっきりおしゃれに見えると同時に、見やすくわかりやすくなっていると感じませんか?
これは天性のセンスでできたわけではないんです。
「大多数の人が嫌だと感じることを気持ちよくわかりやすくするちょっとした工夫」。これを知識として組み合わせてできたことが下の図でわかっていただけるのではないかと思います。
大昔から変わらない普遍的な気持ち良さもあれば、いま流行りの美しさもあります。また、個人・集団の嗜好、性格、価値観などでも変わってくるので「絶対的な正解」はデザインには無いともよく言われます。それでも「大多数の人が気持ちよく感じる」、言わば「感覚の公約数」とでも言うのでしょうか、これは非常に大切な感覚だと思います。
企画書って「自分たちのおすすめする良きものを相手にわかってもらう」コミュニケーションツールですよね。つまり相手に気持ちよく受け取ってもらえるように身だしなみを整えたりネクタイを選んだりすることと同じだと思うんです。
気持ちよさ/悪さの理由、組み合わせのパターンなどを知ることがまず「センス磨き」の一歩です。そしてこれってファッションにも人付き合いにも活かせると思っています。
デザイナーには芸術的センスが必要?
私はグラフィックデザイナーとしてポスターや新聞・雑誌・交通広告、パンフレットやリーフレット、ロゴ開発などのグラフィックデザインからスタートし、パッケージ、DM、プローモーション、動画やキャラクターなどにも関わりながら、現在では企業のCI・VI・ブランディング・デザインコンサルティング、Webデザイン、UI/UXデザインなどに携わっています。
この仕事を30年ほど続けて来ましたが、根拠のない自信からこの世界を志しましたが若い頃には自分の才能・センスの無さに絶望したものです。アーティスト家系でも美大出身でもない自分にはいまでも「先天的な芸術的センス」など無いと思っていますが、それでも好きで続けてきた中で自分なりの「デザインに必要なセンス」がわかってきました。
それが「多くの人が素敵だと感じる共通認識を上手く組み合わせる」ということです。だから常にいろんなアンテナを張っていろんな場のいろんな流行り、文化、常識/非常識を知ることが大切だと思います。
デザイナーにとって「先天的な芸術的センス」や「尖ってぶっ飛んだセンス」よりも重要なのは「感覚と知識・経験・理論を繋げるセンス」だと思います。
世の中でよく言われる「センス」って、おしゃれさとかかっこよさとかの漠然とした正体の無いもので「デザインとは先天的なひらめきや感性で創るものだ」という解釈がある気がしますが、これはむしろアート寄りの考えです。(本当はひらめきや感性も知識や思考の積み重ねだと思いますが)デザイナーでない方はもちろん、これからデザイナーを目指す方やすでに仕事としている方も、そう思って壁にぶつかって諦めてしまったらもったいない。むしろ「ロジカル・シンキング」ができる方がデザイナー向きだと思っています。
センスの正体
ファッションの話で言うと、生まれていきなりセンスのある人はいないはずなんです。
たとえば小さい頃から両親がファッション好きでいろんな雑誌や服がいつも身の回りにあった、なんていう環境はある意味恵まれた先天的なものかもしれません。でもそれだって物心ついてから見聞きしている「知識と経験」。その影響で子供の頃からいろんな洋服に興味を持って片っ端から試すうちに素材や縫製、歴史や文化にまで興味が出てきた、となるとこれはもう「後天的な才能」です。大好きで楽しんでいるうちにいつか身についた「知識と経験」です。そして、その知識と経験から「この色の組み合わせは落ち着いて知的に見える」「この上下のバランスはカジュアルで元気があって今風だ」なんていう「感覚」を「理論的」に自覚できたらこれはもうプロの領域です。「好きこそものの上手なれ」って大事。
どうでしょう?「天才的」とか「生まれつき」と言われるようなセンスの正体ってこういうことなんじゃないかと思うんです。
「感覚と知識・経験・理論を繋げるセンス」というか、その仕組みがわかると、俗にいう「センス」って手に入れられる気がしてるのです。(スポーツやダンス、楽器などは身体的な先天的優位性はあるので一緒にはできませんが)
まとめ
●実はみんな毎日デザインしてる・できてる
●デザインとはカッコよくすることじゃなくて気持ちよくすること
●センスは実は知識と理論の集大成
●センスは磨ける
いかがでしたか?長くなってしまいましたがこの記事がみなさんのお役に立てたら嬉しいです。
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